
1972(昭和47年)年、日中国交回復の年に北京・天津との共同企画で
作業服を輸入販売して以来、東京ユニフォームにとって中国はゆかり
の深い国。
しかし、初期の製品はファスナーが上がらなかったり、袖と身頃の染まり
具合が違ったり、売り物にならない代物が続出。
1979(昭和54年)年に天津の協力工場と契約を結び、80年代に現地生産に乗り出したものの、
多額の損害を計上し、あえなく撤退。
一方的に日本のやり方を押し付けてしまったのが裏目に出ました。
2002(平成14年)年、三度目の正直で乗りこんだ先は上海。一緒に作っていこうという姿勢で臨んだところ、
現地スタッフとの間に一体感が生まれました。
情熱も責任感も分かちあわなければ、本当のパートナーにはなれない。
これ、失敗の歴史から学んだ教訓です。
